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Nikkei Choral Federation of Southern California
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このページには皆さんから寄せられた手紙や随筆など、音楽に関係あるものないもの全ての掲示板です。 とうぞ気楽に投稿して下さい。
2014年 10月24日 新田 邦子
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Mt. San Gorgonio登頂記
2014年 8月20日 小川弘子
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Mt. Whitney登山記録
2013年8月LAメンズグリークラブ所属の細渕隊長率いる総勢4名のMt.Whitney 登山隊は細渕隊長を除いて3名が無事登頂を果たす快挙を成し遂げられました。これは登山隊員の一人である斎藤泰さんによるMt.Whitney 登山の記録です。
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山田玲子さんのブログ 『福島からの子供達と一緒に』
2012年8月11日 (8月13日掲載)
FCT郡山少年少女合唱団との合同演奏に個人参加してくださった山田玲子さんが郡山少年少女合唱団と過ごした一日を山田さんのブログに素敵にまとめていらっしゃいます。山田さんから連盟のホームページに掲載する許可をいただきましたのでここに全文を掲載させていただきます。
写真をクリックして山田さんのブログをお読み下さい。
「そっと黙って、おしゃべりめされるな」 2012年3月16日 小川 弘子 | ![]() |
音楽が好きな人の中で、ベートーヴェン、モーツァルトと並んで、バッハの名前を知らない人はないでしょう。そのバッハのお話しです。
といっても、バッハの生涯や作品、人となりについて、ではありません。バッハの名前です。英語では“バック”に近い発音をしているようですが、カタカナで書く“バッハ”の方がずっと本来のドイツ語の発音に近いです。そこで、そのBachですが、ドイツで“小川”という意味です。あれっ、どこかで聞いたような名前では?と思った方、ハイ、その通り、私の苗字と同じなのです。
ほんの僅かな期間ですが、オーストリアで勉強していたとき、ちょうどバッハの曲を弾いていました。先生に、Ogawaは日本語でBachという意味だと説明したら、大いに喜んで、ヨハン・セバスチャン・バッハ(あのバッハのフルネームです)の女性バージョン、ヨハンナ・セバスティアーナ・バッハという名前を私に下さいました。レッスン場の近くにたまたまバッハ村という集落があったので、先生はなおさら喜んで、”Bach spielt Bach in Bach”(バッハさんがバッハ村でバッハを弾いている)と一人で受けて大笑いしていました。
これには後日談があります。日本に戻ってから、友達に冗談で「これから私のことをバッハ先生とお呼び!」と言っていたら、口の悪い男友達が、「それなら、リングネームを、バッハ怒羅蛇(ドラミ)にすればいい。」と言って、それ以来その名前が仲間の間で流行ってしまいました。ドラミというのは、ドラえもんの妹のドラミちゃんのことで、ずっと以前からそう呼ばれていました。変な当て字で、しかもプロレスラーのようなリングネームと来たものですから、せっかくのありがたいバッハの話しは、すっかりどこかに飛んでいってしまいました。
一緒にレッスンを受けていた当時の仲間の何人かは、今でもクリスマスカードの最初に、"Meine Liebe Johanna”(いとしのヨハンナ)と書いてきてくれます。それを見ると、何となく気分のよいものです。勝手に親戚気分ってところでしょうか。
あまりくだらないことばかり言っていると、ヨハン・セバスチャンおじさんに、「そっと黙って、おしゃべりめされるな」(*)と叱られるかもしれませんので、ヨハンナのたわ言はここまでにしておきます。
(*)バッハ作曲の「コーヒー・カンタータ」作品211は、通称としてこのタイトルが使用されますが、正式名称は「そっと黙って、おしゃべりめされるな」です。
2012年2月26日 太田 勉 |
今日のハイキング参加者の皆さんへ、
今日は思いもかけず、見事な異種同株の緋色の八重桜と白い桜(もともと山桜は白い)を見ることが出来ました。
「 敷島の 大和ごころを 人問わば 朝日に匂う 山桜花 」
これは江戸時代に三重県松阪の国文学者、本居宣長が64歳で詠んだ和歌です。
後にこれが日本の軍国主義の精神根拠「大和魂」に引用されてしまいました。
これは悲しいことです。
さて、今日の桜を見て、私は母方の曽祖父、珍田捨己特別アメリカ大使
(ちんだ すてき-弘前藩士で後に伯爵)夫人とタフツ大統領夫人が、1912年にポトマック河畔の桜の植樹式典に
参列したことが植樹記念碑に刻まれております。
下のサイトの6ページ目に珍田大使夫妻の写真と共に掲載されておりますので、
参考までに見てやってください。
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/shizuoka_0905.pdf
RE: DC ポトマック河畔の桜と私の関係 2012年2月26日 斎藤 泰 |
太田さん、皆さん、
素晴らしい桜とハナミズキの物語を有難うございます。
ワシントンに最初に贈った桜苗木が害虫のため、全部焼却処分されたこと。そのあと大変な苦労で、改めて3,000本再送したこと。
加賀丸、阿波丸など日本郵船の船で送られたこと(これらは懐かしい船名です。加賀丸二世は、わたしも2等航海士として欧州航路に乗船した船です。)。興味深く拝見しました。
ハナミズキはわたしの好きな花です。日本の家の庭にピンクの花(チェロキーチーフ)を植えてあります。
今では日本の大都市の街路樹として、いろいろな都市に植えられています。神戸・三宮にもたくさん植わっています。もともと米国東海岸の山に大木として自生していますが、こちらのベアマウンティンあたりでも、それに似た花を山の中で見つけました。神戸六甲山にも似た花の大木がありました。
今年はポトマック河畔の桜100周年記念の年です。
太田さんへ提案ですが、合唱連盟のホームページが出来たら、随筆・投稿のページとして、太田さんの曾おじいさん・おばあさんの事も含めて、寄稿されてはいかがですか。資料はそろっているし、時機的にも、100年と言うタイミングは大変いいと思います。ホームページの船出にとって大変似つかわしい輝かしい内容だと思いますがーーー!!。
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